光がある場所は大体街で、そこは人工的な眩さと、少しだけ足を踏み入るには戸惑いがある、でもなぜだか一度は迷い込みたくなる場所であることが多いのですが、最近はあまり歓楽街には足を止めず、かといって街を歩いていても人々が自分を含め無気力な雑踏にしか見えないことも多く、まだ訪れたことのない場所がこんなにもあるのにも関わらず、私の感覚的バイアスはブレ始めています。


先日SNS上の写真をスクロールしていたら、海外の路上でホームレスが眠っている写真を投稿していた人がいたのでその投稿をじっくり眺めたところ、ホームレスの男性のすぐそばには立てた中指の落書きも写り込んでいました。


私は最初これをどう見ればいいのだろう、ドキュメンタリーなのか、風刺なのか、それとも冷やかしなのかーーーとしばらく考えましたが、その写真には説明がなかったので、私の中では風刺寄りのスナップとして見ることで落ち着きました。


しかし、悪いコメントは書かれてなかったけれども、きっとあのSNSやアノ書き込みサイトではこれは炎上したりもするだろうなとふと感じました。もしくは冷笑気味にスルーされてしまうかもしれない。

ただそのたった一枚の投稿ひとつをとっても、色々な意見が出るだろうということだけは容易に想像できる。それは時として大きなうねりと化し、良い結果を生むこともあれば、悪い影響に終わることもあり...... それが2023年。わたしたちとインターネットとのリアルな付き合い方ではあります。


あの写真には何も説明は書かれていなかったものの

(もしも私の見ている投稿と、私以外の人が見ているそれに僅かな差があって、知らぬ間に何かが足されていたらどうしよう)

と、そんな風に考えると既に世の中はSFの世界にも見えてくる。


ドラえもんを漫画本で読んでいた時代からすれば、数字だけ見たら2023年は既にだいぶ未来を生きていることになる。メタバースなんて騒がれていても世の中のほとんどはメタバースがなんだかすら知らない。または興味を持たない人もいるというのに、勝手にテクノロジーは加速していき、私たちは気づけばすっかりその世界を受け入れていることに対し静かな驚きを隠せないのは確かです。


私はまだまだインターネットの世界の先を想像してしまうけれど、でも生活のほとんどは実は劇的に変わらない。ただスパイクジョーンズ監督作品の映画「HER」を観た時の、なんとも言えない寂しさと温かさの混在した、孤独とはまた違った感情に時々襲われることはあります。それはむしろ(もうここまで来ているのだな)という感情にも近いのかもしれません。


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