その気配


 私が見たその男は体が小さく肩をすぼめがちで、どこか申し訳なさそうな風貌でそそくさとあのアパートに入って行った。私はその男をもう幾度も目視しながら何処か不穏な空気を察していたものの、それがどういうわけかただの実態の伴わない不安に近い「第六感的」な感覚でもあったので、いまだにその謎めいた感情のいく先を定められずにいた。

もしかするとこれは単なる私の勘違い、いや思い過ごしかもしれない

そう何度も考えながらも、何処かで私の中から湧き上がってくるこの違和感に、いっそのこと名前をつけたい。しかし出てくる言葉は陳腐な罵詈雑言以外浮かばない。

とにかくモヤモヤとした感情以外に浮かぶものがなく、このストレスは日に日に溜まる一方だった。

それである日、意を決して私はその男に近づいた。心の鋭利なナイフをその男に向けてみる。今日こそ名前を名乗ってもらおう。私の生活リズムをまるで把握するかのように、なぜいつもこの男はタイミング良く現れるのだろう......。

その男は今日に限って車から降りようとせず、人が極限状態で向ける鋭利な感情のナイフに気づかぬふりをしたまま、何度も頭を両拳で叩きながら、エンジンを切ったりつけたりを繰り返していた。冬の寒空の中、20分があっという間に経過する。部屋着で飛び出した私はとうとう限界に達したのでその車ににじり寄りながらとにかく「名前を名乗って」もらおうとした。というか半ば脅しながら試みた。

すると、朦朧とした、焦点の定まらない目をじっとりとこちらに向けながら、手には禁煙グッズなのか、電子タバコなのかわからないが、時々それを口に含んでみせながら、男はゆっくりと窓を開け、「ハァァ?」という渇いたあくびのようなものを吐き出した後、小さな蚊の鳴くような声で「宮◯ゴニョゴニョ。。。」と誤魔化し始めた。

「???」

(もしかして、もしかして自分の名前すらわからないの?自分の名前だよ、あなたを証明できる唯一の名前を、君はあえて教えないのではなくもしかして最初から知らされてなかったりしない?)

その瞬間、私の頭の中に、あの曲の歌詞が過ぎった。

それは昨年渋谷ハロウィーンを観に行った時に、スクランブル交差点前の広場でスーパーマンの格好をしたおじさんが流していたあの曲だった。


『迷子の迷子の子猫ちゃん、あなたのおうちはどこですか?』


おうちを聞いても「わからない」

名前を聞いても「わからない」


名前を頑なに名乗らないのか、わからないのか。私ももうわからない。


同時に、名前なんて知ってどうするんだろうとも考えた。知ったところでこの違和感が消えるわけもないのに。

その時2度目の諦めが私を包み、じわじわとそれを噛み締めるほかなかった。1度目に諦めたのもちょうど1年前のこの時期だった。ぐるぐると同じ表現が私を包みこみ、頭の中にその言葉がこびりつき、怒りよりも恐怖に代わるあの感覚ーーーーきっとこの話も、通りすがりに見かけた人からしたら訳のわからない狂った寓話に過ぎないだろう。その、寓話にすり替えるしかない心の中と外側と、境界線を超えた現実の先の話。

結局今だに私の心の中をドーンと沈ませるこの冬の季節。

早くここから抜けださねばと思いつつ、私はこれを書きながら、まだその気配から抜け出せずにいるのでした。

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